川野屋から川添硝子商会
甚兵衛は、遂に文久元年(1861)江戸町で、屋号を川野屋、商標として○川を用い輸入雑貨、洋酒などの舶来品店を創業。士族から商人に転じ、日本で最初のガラス商誕生の基礎を築いたのです。
川野屋二代目・甚平は、常に、取扱商品の中で前途有望な品目の選択に意を用いていました。明治八年(1875)長崎にフランス製の瑠璃板(板硝子)が到着。「有望」と判断した甚平は、即座に全資本を投じこれを購入。販売を開始すると珍重がられ評判も良く、完売。これを機に、雑貨・洋酒等の取り扱いを中止し、板硝子販売を専業とした経営に切替えました。
明治から大正、約60年の間、視線を遮る摺りガラス・装飾性の高い絵入りガラス・ショーウインド用の厚く広いガラスなど住宅・店舗への板硝子の普及は目覚ましいものがありました。
二代・甚平と三代・甚三郎は、国内状況の変化・業界の進展に沿うよう、新技術・新製品の開発と自店の拡大に努め、昭和二年(1929)には川添甚三郎を代表者とする合資会社川添硝子商会を設立するに至りました。 |