第十二回/ヨハネ・パウロ2世による教皇初来崎

 
令和元年11月24日(日)フランシスコ・ローマ教皇が長崎を訪問された。
同教皇は、1936年(昭和11)の生れで、2013年(平成25)266代教皇に就任され、現在82歳。
1981年(昭和56)2月にヨハネ・パウロ2世(当時60歳)が来崎されているので、教皇の長崎来訪は38年ぶり、2回目であった。
ここで、38年前になるローマ教皇の初来崎について振り返ってみたい。

長崎に最初に来訪された教皇であるヨハネ・パウロ2世は、1920年(大正9)5月18日ポーランド・ワドヴィッチのお生れ。ヨハネス・パウルス2世と表記されることもあり、本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ。
第2次世界大戦とその後の共産党政権で苦悩したポーランドの教会出身で、1978年(昭和53)10月16日から2005年(平成17)4月2日の死去まで、実に26年間余という、暦代教皇のなかでも長期に在位された教皇である。
この間、1981年(昭和56)5月13日には、バチカンのサン・ピエトロ広場で、トルコ人マフィアのメフメト・アリ・アジャに銃撃された。銃弾が2発命中し、ひどい重傷であったが、奇跡的に一命を取り留められた。なお、事件から2年後、同教皇はアジャの収監された刑務所を訪れ、同人と面会し、短時間、会談された。
来崎された1981年(昭和56)2月25日には午後6時から浦上天主堂においてミサが行われ、2千人余の信者で溢れたミサの場で、日本カトリックの奇跡である大浦天主堂であった「信徒発見」を讃える言葉を述べ、15人の神学生が教皇自らの手で神父に任命された。

翌26日午前8時には、浦上天主堂に、約1.600名が出席する「修道女のつどい」に教皇が訪れ、汚れなき聖母の騎士修道女会の中山和子シスターからポーランド語での歓迎の言葉を受けて、英語で約20分間、修道女を激励する挨拶を述べられた。
同日午前9時45分、松山競技場で野外ミサが始まる。猛吹雪の中フィールドもスタンドも、4万7,000の人々で埋まるなか、教皇がオープンカーで登場し、場内を1巡半して、特設祭壇に登り、着座されたところで、里脇浅次郎枢機卿がラテン語で歓迎の挨拶。
教皇の日本語によるミサの後、教皇自らによって、60名の人々に洗礼と堅信の秘蹟。
その後、西坂公園の日本二十六聖人殉教地を訪れ、祈念碑を前に敬虔な祈祷実施。

2005年(平成17)4月2日84年の生涯を終え、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に眠っておられる。
2014年(平成26)4月27日、ヨハネ・パウロ2世は、異例の逝去後9年余にして、フランシスコ教皇により聖人に列せられた。
 
 

NPO法人 長崎史談会 理事:宮川雅一

 

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