店舗外観
地図

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創   業: 1866年(慶応2年)
代   表: 代表取締役 吉田 宗由
取扱商品: 茶碗むし・ばってら・蒸し寿司・角煮
所在地: 〒850-0853 長崎市浜町8−9
TEL 095-821-2500
ホームページ https://www.yossou.co.jp/
     
     
     
創業は慶応2年(1866)、四国愛媛伊予藩士だった初代吉田宗吉信武(そうきちのぶたけ)が脱藩して長崎の地に移住し、屋台で茶碗蒸しを販売した事から始まります。旧姓は安宅(あない)で吉田家の婿養子となります。
茶碗蒸しは、江戸時代寛政年間、京、大阪に始まり江戸、長崎に広まったとされています。宗吉信武は長崎の肥前藩邸に出入りする内に、茶碗蒸しという食べ物に魅了されていきました。
当時魚問屋などがあり、賑やかだった万屋町に「吉宗」の屋号で店を構えました。茶碗蒸しだけではなく、蒸し寿司を添えた吉宗独特の「夫婦蒸し」は好評を得て、その味は現在も受け継がれています。
   
吉宗店舗建造
昭和2年、二代目大造(だいぞう)と三代目宗次(むねじ)が今の吉宗本店を築きました。
大量に料理をするため、薪が原料のかまどでは限界があり、ドイツ製大型石炭ボイラーを導入しました。これに伴って、吉宗のシンボルとなる吉宗煙突が完成。その後、ボイラーからガスへと燃料が変わり、煙突もその役目 を果たし、風化や老朽化で災害の恐れもあることから今は取り崩されてしまっています。

 

   
吉宗煙突は長崎名物として、多くの市民に親しまれていていました。

煙突には「茶碗蒸吉宗」の文字がデザインされています。
左記は昭和11年8月の改修工事後の写真です。

昭和19年から戦争のため閉店。島原に疎開しました。
昭和25年、終戦後三代目宗次が、現店舗にて営業を再開しました。四代目順彦(のぶひこ)が昭和21年に復員し
、三代目の力となり懸命に働きました。

   
戦後の復活
昭和30年、三代目宗次が会長となり、戦後からの復興に力を入れた順彦が四代目社長に就任しました。出前は自転車から自動車に変わり、飛躍的な時間短縮とともに配達距離を広げることとなりました。その基盤が今の出前部となり、配達車を街中で多く見ることができます。
昭和40年、吉宗は創業100周年を迎えました。記念事業として長崎市公会堂を2日間貸し切り「謝恩演芸会」を開催しました。盛大に行われた演芸会は招待客で満席の盛況でした。
昭和53年には卓袱料理に手を加え、吉宗独特の長崎料理として発売しました。東京や博多などにも出店し、長崎では大橋町に出前部を新設するなど多くの功績を残した順彦は、今の吉宗を大きくした立役者でありました。
その順彦が若くして他界します、享年58歳。
妻である久子が吉宗を受け継ぎ五代目社長に就任しましたが、またしても苦難悲劇に遭遇します。昭和57年の長崎大水害です。店舗1階の被害が大きかったものの、幸い経営できないほどの惨事は免れることができました。
   

さらなる発展
平成時代に入り、卓袱料理の角煮を贈答用として開発販売しました。持ち帰り用の店舗を拡大するなど、家庭でも気軽に味わっていただけるようになりました。現在では、通信販売や全国の物産展を行脚して、長崎以外でも 吉宗の味を堪能していただくことができるようになったのです。
六代目に就任した現社長の徹は、先代久子の言葉である「格好つけずに、普通の人を大切にするのが、吉宗の商売」を信念としています。
「食」に携わって百四十有余年、「食事」とは書いて字の如く「人を良くする事」です。
旬の食材を安全に調理し、安心して口にしていただけることを信条とし、また初代から受け継いだ吉宗伝統の味を今日まで守り、長崎地場企業として地元からより一層愛され続けるよう日々精進を重ねています。
   
 

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