店舗外観
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田中旭栄堂
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創 業:
1898年(明治31年)
代 表:
田中 耕太郎
業 種:
菓子製造販売
所在地:
〒850-0054 長崎市上町3−6
TEL 095-822-6307
シンボルマーク【栗王子】
栗饅頭の誕生
初代、田中素郎市 によって田中旭榮堂が創業したのは明治31(1897)年、『福砂屋』で菓子づくりを学び栗饅頭を作り始めたきっかけは1904年の日露戦争の時です。
栗饅頭自体はどこにでもあるお菓子、田中旭榮堂では日露戦争の戦勝祝いとして作られ、始めは形も卵形で 、しかも栗が入っておらず原材料の質も今よりかなり劣っていたと考えられます。今ほどのおいしさを探求したものではなく、どうやら『勝ちぐり』にあやかって作られたようです。
店内には大正時代の商法をほうふつとさせる新聞広告があります。長崎−上海航路の就航を祝したもので、長髪の西洋人が笑顔で栗饅頭を抱きかかえる、という斬新な図柄、これは素郎市の人柄をしのばせています。
昭和初期の店舗(1933年撮影)
修行の厳しさと発見
素郎市は体が小柄で小回りが利き、とにかく、じっとしていられない性格でした。戦時統制下、長崎市内の菓子組合は『乾パン』づくりを命じられ素郎市は率先してその任にあたったそうです。終戦後、 三代目の宏は小学5年から上町(当時の東中町)の自宅工場で働き始め ました。遊びたい盛りだったのにもかかわらず、放課後は工場へ直行の毎日が続きました。
宏は高校卒業後、約4年間にわたり東京、大阪の有名店で修行に励みました。粉のこね方一つにしても関東と関西では全く違う、駆け出しの頃は重労働でしたが全てが新鮮だったと言います。
ケーキなど菓子に関するものはなんでも技術を習得しようと挑戦 、勉強に励みました。親元だけで修行していたら井の中の蛙になってしまうだけと思いました。『他人のめしを食わせてもらい、何かをつかんでこい』という親心に応えるためにもがむしゃらに頑張ったのです。
まろんぱい
伝統守り新しい味を創造。“お客様の心”糧に日々研さん
宏は父であり二代目の豊から41歳で跡を継ぎ、新商品の開発にも積極的に取り組みました。栗饅頭の製法は創業当時と変わりません。砂糖・グラニュー糖・卵・ハチミツ・小麦粉で作った皮に白あんを詰めた後、丸形から栗形に成型して焼きます。皮に卵の黄身を上塗りして焼くと本物そっくりのこげ茶色に変わります。栗饅頭の他にも、栗入りあんをパイ皮で包んだ『まろんぱい』など約10種類を商品化しました。
技術的に、新商品を作りだすことは難しくありませんが、考えすぎて作った商品 の大半は全く売れません。売れるためにはまず遊び心が必要です。異業種の方々と一緒になって企画した方がかえって売れると豊は語っていました。
栗饅頭
姿も味も昔ながらの栗饅頭。親子三代通い続ける常連さんの姿も少なくありません。「栗饅頭は土地の人々に食べてもらえばいい」との代々受け継いだ信念から大手百貨店への出店要請を断り続け『本店主義』にこだわってきました。頑固なまでに伝統を守りつつ、さらに新しい味を創造する職人気質が当店の魅力だと自負しております。
うちの栗饅頭は全国版ではなく地方版。お客様に『おいしい』と言ってもらえることが一番嬉しいのです。
どこにでもある栗饅頭ならすぐに飽きられます。あんの甘さを抑えるなど当店なりの研究を重ねて今の味を作りあげてきました。
これからも老舗の味を守り続けていきます。
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