店舗外観
地図

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創   業: 1899年(明治32年)
代   表: 陳 優継
業   種: 中華料理
所在地: 〒850-0921 長崎市松が枝町4−5
TEL 095-822-1296
ホームページ http://www.shikairou.com/
     
     
     
明治25年、こうもり傘一本持って大陸から長崎へ渡ってきた若者がいました。福建省福州の出身、19歳の陳平順(ちんへいじゅん)です。
平順は「長崎でひと旗あげよう」と、新地で砂糖貿易商を営む縁者の益隆号をたよりました。当時の華僑は、料理、散髪、仕立屋という“三刀の仕事”ぐらいしかできない状況でありましたが、平順は保証人の益隆号から金を借りてリヤカーに反物を積み、遠くは島原まで足をのばし、行商しながら資金を貯えていきました。
   

 

 

 

 

 

この四海樓で生まれた『支那饂飩(しなうどん)』がその名も『ちゃんぽん』と変わり、長崎で最も親しまれる大衆料理へと発展し、『ちゃんぽん』はいまや日本の代表的な食べ物の列に加えられるまでになっています。
平順は、自分が長崎へ渡ってくるときに苦労したことや世話好きの性格も手伝って中国から渡航してくる華僑や留学生の身元引受人になっていました。そんなとき、食べ盛りの留学生のひどい食生活を見るに見かねて、どうにかしたいと考案したのが『ちゃんぽん』でした。安くてボリュームがあり栄養満点の『ちゃんぽん』は、留学生の食生活向上に役立ったばかりか、たちまち長崎の中華街にひろまっていきました。当時の四海樓の看板には『支那料理四海樓饂飩元祖』の文字があり、ある日、平順は娘の清姫から『ちゃんぽん』を商標登録するように勧められたことがありましたが、「留学生や長崎人にかかわらず大勢の人に食べてもらえたら満足だ」と言い、聞き流したといいます。
その後のちゃんぽんの足跡は、明治40年発行の『長崎県紀要』に見られます。支那留学生の好物としてちゃんぽんが紹介され、市内に十数店のちゃんぽん屋があると記されています。
更に大正3年発行の『長崎案内』には、長崎名物最大流行の第一番として『支那うどん』が紹介され、ちゃんぽんは長崎名物として有名になっていきました。大正7年9月、東京相撲の長崎巡業があり、丁度長崎に住んでいた齊藤茂吉は同郷山形県出身の出羽嶽を行きつけの店である四海樓に招き、ちゃんぽんをご馳走しています。
四海樓は『皿うどん』の元祖でもありますが、この『ちゃんぽん』と『皿うどん』のおいしさを伝え聞いて、さまざまな著名人が訪れました。草柳大蔵氏、五木寛之氏、永六輔氏、清水崑氏、山崎朋子氏、新珠三千代氏・・・・。吉屋信子氏は半年間『皿うどん』を食べつづけたそうです。更に、昭和31年に常陸宮殿下、昭和52年には浩宮さま(現皇太子殿下)も訪れになり、おふた方とも皿うどんをお代わりされたほどであります。
戦後、昭和26年9月26日には籠町(旧 広馬場町)で二代目のもと再び開業し、昭和48年11月14日には松が枝町に観光業も取り入れた業務拡大をして移転しました。
平成12年には創業100周年を機に店舗を新築、7月4日に新しく生まれかわりました。
   
「ちゃんぽん」の誕生
福建の郷土料理に「湯肉絲麺」がある。湯はスープ、肉絲は細切りにした肉、つまり豚肉の細切りの入った湯麺である。これには肉のほかに椎茸や筍、ネギ、季節の野菜などをラードで炒めたものが入っていて、麺は少し太めの手打ち麺、味はあっさりしている。戦前の四海楼のメニューにも見られるくらい福建の者にとってはオーソドックスな食べ物であった。平順はこれにひと工夫凝らした。長崎は食材が豊富である。近海で捕れたエビ、イカなどの魚介類、長崎で栽培されていたというもやし、そして当時はまだ珍しかったキャベツなども加えた。
さらにスープにも改良を加えている。それまでのスープは鶏ガラで取るのが基本だったが、平順はこれに豚骨を入れて炊き上げた。そうすることでスープは白濁し、コクのある深い味わいとなり、栄養価もぐんとアップした。次はこの濃厚なスープに負けない麺が必要である。ラーメンなどの中華麺はかん水を使うが、ちゃんぽんの麺は小麦粉に唐灰汁(トウアク)を入れて作る。この唐灰汁は炭酸ナトリウムと炭酸カリウムが主原料の、長崎独特の食品添加物である。これを小麦粉に練り込んだ麺は独特な風味が出て、コシも出るし、腐敗も防ぐといわれている。平順の考えで、食感があり腹にたまるようにと、太くし饂飩のように丸い形にした。
作り方は、中華鍋に油をひき、具材を軽く炒める。次にスープを注ぎ全体に馴染ませたら、唐灰汁配合の自家製麺を入れる。麺をほぐしながら強火で短時間煮込みもやしを入れ、濃口と薄口の醤油で味を調えたら器に盛り付ける。これで、うまくて安くて、ボリュームがあり栄養も取れる平順オリジナル麺料理の完成である。また、長崎の名産である蒲鉾も取り入れ、彩りにも配慮している。海産物や野菜類は一年を通して安定的に入手が出来ない時代だったので、その季節の旬のものを使っていた。春はアサリ、冬はカキ、キャベツが白菜に変わることもあっただろう。今で言うところの地産地消である。いろいろな季節の素材がふんだんに入っているので、のちに「ちゃんぽん一杯で四季が楽しめる」などと言われたものである。また、若者の間では「ちゃんぽん一杯でニキビが10個増える」と言われていたようだ。それだけ栄養豊富ということだ。この段階ではこの特製麺料理は、賄い料理のようなもので名前はなかったが、すぐに「支那饂飩」とつけたのである。
つまり「ちゃんぽん」は、中国から伝わって来たものではなく、長崎で生まれた中華料理なのである。

出典:「ちゃんぽんと長崎華僑」(長崎新聞新書)より

 
 

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