本社外観
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創   業: 1885年(明治18年)
代   表: 天本 祐世
業   種: 薬局
本社所在地: 〒850-084 長崎市銅座町7−9
TEL 095-856-2389
     
     
     
弊社の創業は明治18年に営業許可を取得し、万屋町で販売を開始したところから始まります。
初代天本愛次郎(愛儀)は、明治25年から26年にかけて上海に渡航して秘法を会得し、『六神丸』という自家製剤の官許に熱心に取り組みました。この需要が確実のものとなったことから、一時は西日本を中心に全国に販路を拡張、明治36年には現在地である銅座町に新築、移転しました。
同時に社会救済事業にも熱心で、天本社会事業団(現在の社会福祉法人)を設立。孤児の面倒を見るという事にも尽力しました。
二代目の美徳は戦後小規模業者が出資して製造を委託する長崎県製薬協同組合設立の中心的役割を果たしました。
現三代目、祐世は薬大 卒業後7年間の長崎県薬務課を経て家業に従事する一方で、同協同組合の中心メンバーでもあり、また県製薬協会の指導者でもありました。
     
天本六神丸
創業とともに自家製剤の誕生のきっかけとなったのは明治17年のコレラ大流行に遡ります。同年長崎でも何千人という市民がこの病にかかり、初代愛儀の養父儀平もその病にかかった一人でした。そこで『六仙丸』という薬の素晴らしい効果を体験。その薬を購入した華商に出向いて販売の相談を持ちかけました。もちろん、その秘法を会得するため配合分量の研究にも熱心で、効能の優れた六神丸が創製されました。
効能は現在、心臓病(動悸・息切れ)・下痢・胃痛・胃腸病・攪乱(急性下痢症状)・驚風(小児のひきつけ)・眩暈(めまい)・気付けとなっています。
   
需要を高める為に宣伝に力を入れていた
長崎に二個しかなかった立派な金庫を置いたり、長崎に初めて自転車を導入するなど大いに高名だった初代天本愛儀氏、当時としては、かなり珍しく宣伝にも力をいれてました。上記の写真は愛儀氏自作のチラシで「天本の新報(長崎新報=現在の長崎新聞の前身)」と言われるほど毎月当時の何百円も投じて新聞広告を行うとともに各地に看板を立てて回りました。横書きの看板も初めて導入し、視察中にこの看板を見た徳川家達侯爵から洋行の経験を聞かれたといわれています。
   
長崎・諏訪神社には数々の六神丸奉納台が
「長崎くんち」で有名な長崎市、諏訪神社の境内には、天本家が献金した記念碑(左の写真)のほか、天本六神丸奉納の台が何ヶ所も置かれています。当時「長崎くんち」は同社の献金の利息によって行われたともいわれています。

 

 

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